統合失調症からの回復過程と慢性化
統合失調症からの回復過程と慢性化
- はじめに
「統合失調症の回復過程と慢性化」という事について、述べてみます。
統合失調症の1回の急性期からの回復過程を症状や治療や養生やその時期時期での患者さんの気持ちを含めて話して行きたいと思います。また、要所要所で再発・再燃や慢性化の問題に触れて行きます。
なお、この中で、医学や精神医学の難解な用語を使わざるを得ない部分や患者さんの精神病理の説明で理解しにくい概念を使わざるを得ないところが何箇所か出てきます。なるべく、わかりやすい例を使って易しく説明するつもりですが、それでも難しいというのが残るかもしれません。それに関しては、平にご容赦ください。
- 回復過程の図
まず、回復過程の図の中央をご覧ください。発症、急性期、回復時臨界期、回復期前期、回復期後期と縦に並んでいます。これが、回復過程です。図の右側をご覧ください。回復時臨界期、回復期前期、回復期後期のどの段階からでも再発・再燃がありうることを示しています。今度は、図の左側をご覧ください。急性期、回復期前期、回復期後期のいずれの段階でも慢性化・固定化がありうることを示しています。回復時臨界期の部分だけ括弧して固定化と書かれていますが、回復時臨界期というのは長引くことはありえますけど、不安定な時期なので、そのうち、急性期に逆戻りするか、回復期前期にいずれなります。それゆえ、固定化に括弧が付いています。
再発・再燃や慢性化・固定化については、これから述べます各項で触れますし、後の方で詳しく述べます。但し、慢性化と固定化は正確には違うもので、これについては、講演の最後の部分でお話しすることになります。
統合失調症の回復過程や慢性化の問題は、精神医学的には、正確には、今日お話しする内容よりも、実はもっと複雑です。しかしそれをそのままお話したのでは、理解がしにくいです。昔の神戸大学精神科の教授に中井久夫先生という方がみえましたが、今日のお話しは、その中井先生の寛解過程論という理論をたたき台にして、それをもっと判り易くし、また、私の経験や考えを少し加えたものです。その内容ですと、統合失調症の回復過程と慢性化の大筋が掴めます。
- 急性期
急性期の症状を陽性症状といいます。ただし、急性期だけに現れる訳ではありません。陽性症状とはプラスの症状、つまり本来ないものがある、という症状です。まずは、その症状のお話です。
幻覚があらわれます。幻聴が最も多く、たとえば「死ね」「殺す」「どれだけお金を積んでもいいから、その目をくれ」「絶対、俺のものにしてやる」等等です。幻聴は、家族、近所の人、職場の上司、かつての同級生などの身近な存在から、組織、黒幕、ヤクザといった徒党を組むものに幻聴の主が移り変わっていき、ついには、「宇宙人」「仏様」というような超越的な存在、つまり、この世のものとは思えない存在が幻聴の主であるようになります。また稀に、これは急性期のピークに多いのですが、毒の味がするという幻味だとか、腐った臭いがするとか、タイヤが焦げた臭いがするという幻臭とかが現れます。また、「電波をかけられ、体を痺れさせられる」という体感幻覚、つまり体で感じる幻覚が生ずることもあります。これらは患者さんにとって迫害的なニュアンスを持っています。
妄想は色々なものがありますが、代表的なものは迫害妄想です。たとえば、これらは患者さんが語った妄想ですが、「ミラーとミラーをつなぎ合わせてベッドの中まで見られる。体や心の中まで入ってこられてぐちゃぐちゃにされる。」とか「猫に盗聴器が仕掛けてあるんですよ。そこら中に盗聴器が仕掛けてある。」とか「行くところ行くところにヤクザがいる。ヤクザにつけ狙われている。」とか「常夜灯はイオンプラズマで蛍光灯はネオンプラズマなんです。インターネットの神様が僕のことを常夜灯と蛍光灯で監視していて、僕が行動すると、それを写真に写して、光ファイバーケーブルを使って全国の市民にばら撒くのです。」等等です。
奇異な行動・衝動的な行動があります。たいていは妄想上の存在や幻聴の命ずるままさせられてしまうのです。例えば、1月の寒い夜薄着のまま裸足で家から飛び出して一晩スーパーの裏の木立のところでいるとか、豊田から名古屋まで30キロ一昼夜かけて歩いて行ってしまうとか、首を絞めてしまう、壁に激突する、手で押しのけるような奇妙な仕草を頻りとするといったものです。
独り言が出ます。これは、大抵は、幻聴の聞こえるままに口が動いてしまうというものや、幻聴と会話をするといったものです。独語と言います。また、可笑しくもないのに一人笑いを甲高くするということがあります。空笑と言います。
また、興奮することもあります。色々な興奮がありますが、幻聴のうるささに耐えかねて、大声を出してしまったり、家族の人に、殺しかねないような勢いで怒声をあげてしまうといったものです。
興奮と反対の現象もあります。それは、喋らない・動かない・反応しないという状態、あるいはそれに近い状態になるもので、昏迷と言います。昏迷の時には、反応がないのでわからないですが、意識はしっかりあり、患者さんはその時のことを覚えています。
また、拒絶という現象があります。これは、何か喋られたり、動かされたりすることを一切拒み、冷ややかにしか反応しないというものです。これが薄まった形に、他人を信用しない、他人が作用してくるのをきわめて警戒するというものがあります。
また、考想伝播というものがあります。これは自分の感じていることや考えていることを喋ってもいないのに、他人に筒抜けになってしまい、すべて心を読み取られてしまうと感じるというものです。
支離滅裂というものがあります。例えば、これは支離滅裂になったかつて私が担当した患者さんの言葉ですが、「まだまだ余裕があります。どこへでも行けるわ。俺は宇宙人だ。いや、それ以上だ。まだまだ行ける。森先生はいい先生だ。どこまでも行けるわ。全国民が狂っている。そうだ、全国に行くんだ。」という具合です。支離滅裂は軽い場合は、思考や言葉だけですが、ひどくなると言葉はばらばらな関係のない単語の羅列となり、言葉のサラダになります。感情や行動にも及びます。さっきまで苦悩に満ちた悲嘆した話をしていたかと思うと、急に何の切掛けもなくげらげら笑い始めるという具合です。
こういう急性期の症状は、突き詰めていってしまえば、患者さんの個人としての主体性が奪われ、妄想上の「他人」あるいは「他」といか言いようのない存在に翻弄されている、蹂躙されているということです。人としてこれ以上の苦しみはないと言っていいでしょう。基本は迫害ですが、そればかりでなく、誘惑とか、道を指し示す・アドバイス・助言をくれるというものもあり、これらは患者さんが先に述べたような病的な体験に惹きつけられる、というややこしい関係をもたらします。それゆえにこそ、迫害だけでなく、翻弄される、蹂躙される、ということなのです。「可愛い子」と言う幻聴が聞こえたかと思ったら、「お前の目をくりぬいてやる」と言う幻聴が生ずるという具合です。
患者さんの奇異な態度や拒絶や昏迷により、患者さんとやり取りが出来ないこともあります。
こうした状態から、治療と養生、治療スタッフとご家族の支えにより徐々に病的な体験・行動が減少していきます。治療は、薬物療法と、医師や看護スタッフやご家族の精神療法的な関与とサポートです。
薬物療法は、現在の統合失調症の治療では、なくてはならないものです。抗精神病薬が使われます。これはこの急性期症状を鎮めたり、再発・再燃させない効果を期待して投与されます。凡そ60年前までは抗精神病薬がなく、統合失調症の治療は難渋を極めていました。今では、統合失調症の治療に抗精神病薬は不可欠です。治療は薬だけではないのですが、薬物療法のもと、後に述べる精神療法的な関与やサポートを容易にさせる効果があります。
これは、患者さんによるのですが、服薬を続けていくと頭の中のざわめきが静まるとか、先に述べた翻弄される、蹂躙される、ということが少なくなると感じ取れる方がいて、この場合は、服薬の合意がスムーズで、治療が順調に進みます。
反対の例を述べましょう。別の患者さんにとっては、服薬してくれていて、外見的にみると実際にある程度は症状が治まって来るのですが、先に述べた他人が作用してくるのを極めて警戒するという性質から、自分で勝手に薬を減らしたり、薬を飲まなくなってしまうことがあります。これは、客観的にみて、症状がある程度収まっていくように見えても、患者さんにはそのように感じられない、良くなっていくようには感じられないという現象です。こういうことが時々起こります。そして薬の鎮静作用のことを、「頭をパーにする薬だ」と言って服薬中断になってしまうのです。
これと対照的なのは、うつ病での薬物療法です。うつ病の人が、人に過剰な警戒感をいだかず、抗うつ薬で自分の抑うつの苦しさが段々和らいで来るが故に、効果があるもだと感じて服薬を継続する、というのとは好対照です。
また、そもそも、他人が作用してくるのを極めて警戒するというのが初めからある方で、初診の時から服薬合意が不可能な場合があります。その場合は、時間をかけて説得することをします。余裕があれば1時間ぐらいは説得します。医師によっては4時間説得した、と聞いたこともあります。
患者さんの異常な言動に最早ご家族が家庭で対応できない時、また、そのような症状が出ていても服薬を拒む時は、入院治療になります。
次に、精神療法的な関与とサポートについて述べます。患者さんによっては、病的な体験を自分の苦悩として、他人に告げることが出来る人がいます。そうした苦悩に共感してあげて、「それだけの思いをしているのは本当に辛いと思います」とか「今は出口の見えない長いトンネルに入っているようにも見えますが、必ず出口に辿り着きますから、失望しないでやっていきましょう」とか「時間が少しづつ解決していってくれる部分もありますよ」とか、場面場面に合わせて関与、サポートしていきます。また、後で述べる養生を患者さんに伝えていき、患者さんに、少しでも安心と脳を休めることを保障していくことも重要です。
外来治療で急性期治療がなされる場合、ご家族のうち患者さんに共感的な人が、このサポートを教えられもせずに、やれてしまっている場合があります。この場合、予後や経過が非常に良いです。共感的で寛容なご家族の存在は非常に患者さんにとり大きな力となります。
急性期での患者さんにとっての養生は、とりあえずは、
①薬をきちんと服用し続けること
②ゆったりのんびり過すこと
③生産的活動に従事しないこと
④8時間以上熟睡すること
⑤どちらを取るか迷ったら、安心できる方を選ぶこと
の5点です。急性期の患者さんは病的体験に翻弄されて、まったく心の余裕がありません。何かをするということができなくなることがしばしばあります。そして、患者さんにとっては安心感が極めて乏しくなっていることは100%言えます。この養生は、そういった患者さんに少しでも安心感が戻ってくるのに是非不可欠なのです。
こういった治療や養生、様々なサポート、それと時間の経過とともに、患者さんは次第に急性期の終盤に近づいていきます。急性期の長さは、もし慢性化しないならばですが、きわめて短いもので3週間、多くは数ヶ月、長いもので1年から3年です。
現在、統合失調症の予防は出来ませんが、急性期は1回のみで、再発させないことが極めて重要です。最初の急性期は90%以上の確率で回復過程に入っていける可能性があります。多くの患者さんが急性期の症状、つまり陽性症状が消失した状態になれるのです。しかし2回目以降の急性期は最初の急性期より治りが悪いことが、間々あります。もちろん、2回目もうまく収まることもありますが。残念ながら、うまく治まらずに陽性症状が多く残ってしまうことがあり得ます。それ故、統合失調症の治療の最大目標の一つは、1回の急性期で終わらせ、再発させない事にあります。
しかし、稀なことですが、何回かの急性期の後、以前より良くなることがあります。かつて私が担当したある患者さんは2回の急性期を経ましたが、病院嫌い、薬嫌い、医者嫌いの状態で、きちんと服薬をせず、通院も断続的でしたが、3回目の急性期からの回復過程で、医師や医療や薬に信頼を寄せるようになりました。この方は、陽性症状が残ってはいますが、現在、回復期前期の回復状態です。
これまで述べてきた急性期の状態で固定してしまう患者さんが、少数ながらいます。本当に固定しているかどうかは、2、3年診て行かなければわかりません。2,3年、或いは、それ以上見ていくと陽性症状に翻弄されながらも、それが微妙に薄らいで行くか、安定度が増して行くことが、少なくとも1回目の急性期の当初から私が担当し続けていた患者さんでは言えました。こういう患者さん達には、大量の抗精神病薬を服用してもらい、何とか少しでも陽性症状を抑えつつ、主体性を奪われ妄想上の他者、先程の妄想上の「他人」とか、「他」としか言いようがないものですね、それに翻弄される、蹂躙されるようなこの上も無い苦しみに惜しみない共感をし、乏しくなっている安心感に、安心感を注ぐよう支えていかなければなりません。そういうことを長年にわたって続けていかなければなりません。他に道はありません。
急性期での固定化を慢性急性状態と呼びます。入院患者さん達のうち主治医一人当たり、何人かはこのような慢性急性状態の人たちです。また、外来通院を続けている人たちでも、異常行動は無くなり家庭で生活が出来る状態ですが、病的な体験に翻弄・蹂躙されている方がいます。このような患者さんの苦しみは筆舌に尽くしがたいです。また、ご家族もどうやって対応していいか困惑しておられると思います。これについては、先に述べましたように、患者さんの苦しみに共感をし、安全保障感を注いで行き、支えていくしか術はありません。
- 回復時臨界期
回復時臨界期に達しますと幻覚・妄想は一旦鳴りを潜めますが、この時期では容易に再現することもあります。患者さんは、病的な世界を脱しつつありますが、現実へ着地する・直面するという新たな困難が待ち受けています。私はこの時期に「言葉が入ってくることが少なくなってよかったですね」とは言いません。病的なことが少なくなっていること、イコール、良いことという等式が単純には成り立たないからです。私は、「言葉が入ってくることが少なくなっているとしたらたぶん良いことだと思いますが、もし私がそう言ったらどう思いますか?」とか「言葉が入ってくることが少なくなって、寂しいと思いますか?それとも清々しますか?」と尋ねることにしています。それは精神病になってしまったこと、精神病になって失ったもの(例えば、仕事や学業や家族との良好な関係など)を患者さんが実感するようになっているからです。また、将来への不安も加わり、こうした困難や不安を背景に、患者さんにはもの凄い焦りが生じる時もあります。例えば、「早く仕事に復帰しないと手遅れになる。」と訴えて焦る、とかです。困難や喪失感を背景に絶望が生ずることがありえ、この時期は自殺の最も起こりやすい時期でもあります。濃厚な精神療法的サポートを要する時期です。繰り返し、焦らなくていいこと、将来のことは時間をかけてもっと先に取り組んでいけばよい事、今はゆったり過していて差し障りない事、などを何度も何度伝え、支えていきます。幻聴や妄想が容易に再現しやすいのは、現実への直面よりも、病的世界が楽である場合があるからかもしれません。しかし、それは決して病的な世界に逃げ込んでいる訳ではありません。そうしないと、自分が保てないからです。保てなくなった時のひとつの結論が自殺です。
また、この時期は、普段の落ち着いている時は気にしていないようなもので、心のちょっと深いところにある気掛かりが、不安として噴出してくることもあります。例を挙げると、実際には洋服店を辞めた事についてトラブルになっていないのに、「私は洋服店を不義理な辞め方をしてしまった。今から、店長に謝りに行かなければならない。」というものや「私は小さい頃母の言うことを聞かなかったから、バシリと叩かれた。それが恐怖で。自分の子供はしっかりしたいい子なんです。私は自分に自信が無くて、ありのままの自分でいると、子供の才能をつぶしてしまいそうになる。」という具合です。回復時臨界期では、こういう不安で一杯になるのですが、回復時臨界期を上手く乗り越えられ、次の回復期前期に至ると、この様な不安は患者さんの口から語られなくなります。心の元あった場所にしまいこまれ、気掛かりなこととして意識はされなくなるのです。
この時期は、急性期からの回復にとってひとつの大きな壁であります。病的な現象はなくなるか少なくなってきていますが、危険な時期なのです。それ故、臨界期という名が付いています。臨界期とは、先に述べた中井先生の提出された概念ですが、中井先生は臨界期を英語で、critical periodとしています。periodは時期という意味です。criticalという単語は英和辞典を引きますと、「臨界の」という数学や物理学用語で、「状態が不連続的に変わる境界」という意味と、「危機の」という意味が載っています。「臨界の」というのは急性期から回復期前期が接している時期で、この時期は「危機的な」時期でもある、というニュアンスが込められているのでしょう。辞書的用語からも、臨界期というのは危機的な時期と言うことが出来ます。
こうした危険性は、ここ10年程の間で時々報告された非定型抗精神病薬による「目覚め現象」とよく似ています。抗精神病薬にはここ15年の間に登場した非定型抗精神病薬というものがありますが、この非定型抗精神病薬のうちある種の物は認知機能に余り悪影響を与えないため、精神病的な時期を離脱するとあまりに現実がくっきりと見え、つまり精神病になってしまったことや精神病で失ったことがはっきりと見え過ぎ、ともすれば絶望したり、自殺を図ったり、どこかへ遁走したりしてしまうことが起こってしまいます。これを「目覚め現象」と言います。従来型の定型抗精神病薬では、鎮静がかかるためこうしたことが起こりにくく、この時期は定型抗精神病薬を併用するか、鎮静力のある非定型抗精神病薬を使用する方が無難そうです。
この時期に体に症状が出ることがあります。50パーセントぐらいの出現率でしょうか。体に湿疹が出来るとか、円形脱毛になったりとか、喘息の持病がある患者さんでは、喘息発作がよく起きるようになったりとか、急性扁桃炎になったりとか、風邪を引くとか、風邪や感染症でもないのに微熱が出るとか、便秘と下痢が交代するとか、脈拍の変動が激しいとか、薬の処方を長く変えていないのに、急に薬の副作用が出るようになったりとか、等等です。先に述べた中井久夫先生によれば、盲腸が起きることもあるようです。
こうした体の症状は、次から次へと現れる時も、ぱらぱらっと偶に現れる時も、現れないこともあります。体の症状が出ることは、新たな困難があるこの時期に、体が助け舟を出してきているがごとくです。なぜならば、その時、体のケアをしてもらうことによって支えられるからです。
体の症状と、現実を前にした患者さんのあまり浮かない顔や焦りや不安を目安に、この時期を見定めます。
回復時臨界期はちょうど山脈の尾根筋に当たるようなところにあり、それ故、この時期の近辺を行ったりきたりし長引くことはありますが、回復時臨界期は、持続が不安定で、回復時臨界期で固定してしまう例はないことはないですが、稀です。急性期に逆戻りしてしまうか、回復期前期に進みます。この時期近辺で回復が遷延している患者さんに対しては、患者さんの安全保障感の乏しさに共感しつつ、今は現実の困難や喪失感を真正面から受け止めないこと、ゆっくり過していて構わないこと、気掛かりなことのうちいくばくかは時の経過とともに自然に解決して行く事もあること、などの言葉を掛け、支えていきます。また、体の症状のケアをします。体の症状の治療を表面的にはしていても、患者さんの精神療法的なケアをしているという気持ちでそれを行うのです。これは、たとえば患者さんの足の裏に角化があるとして、つまり、罅割れた餅の様な硬い足の裏ですね、その角化をウレパールというクリームが効くのですが、ウレパールを塗って治療するという意味ばかりでなく、角化して荒涼たる荒れた足の裏に荒涼たる荒れた患者さんの心が反映していると考えて、足の裏を労わるようにクリームを塗っていくことを毎日繰り返すことをします。そのような意味での体のケアなのです。そして、抗精神病薬の量は未だ減らしません。それは、先に述べたような絶望が起こりうるからです。
- 回復期前期
この時期は、回復という名はついていますが、回復という言葉からイメージされるものと比べて、より早期であり、世間的に言う回復には未だ至っていません。実際には病的な現象がなくなった時期、という程度のニュアンスです。幻覚・妄想をはじめとする現象はなくなったか、あっても「車の運転では、後ろにばかり気を取られないように」とか「いい子」「頑張って」というような半ばアドバイス的な幻聴とか、世間話をするような幻聴が少し残っているくらいです。急性期のあの恐ろしい不条理で迫害してくる・蹂躙してくる幻聴はないことが多いです。
一方、患者さんの言語は少なくなります。手短でそっけなくなります。しかし、接触していて冷たいことはありません。また、雰囲気は概して明るいものです。しかし、自分からはしゃぐことはありません。集中力・気力は余り続かず、疲れやすいのも特徴です。以前にやっていた趣味も疲れやすいためか、余りやりたがりません。また、患者さんが出来ると主張するレベルの1、2歩後ろに患者さんの実像があることが多いです。
外の世界が薄皮一つ隔てて見えると語る患者さんもいます。
一般に、活動性は減少し、自宅に籠もっていることが多いです。外出も、家族と一緒に買い物や外食に行く程度で、一人では外出しないことも多いです。
特徴的なのは長い睡眠です。11pmから0pmまで寝ているという具合で、目覚め心地も「もっと寝ていたい」、というのが多いです。これは、処方されている睡眠導入薬や抗精神病薬の催眠作用というばかりではありません。脳と心が休息を求めているのです。急性期では脳は冴え渡り、制御棒を抜かれた原子炉のように、言ってみれば400パーセントもの出力を出します。また、エベレストのようなきわめて高地の登山をした後は、登山家は3ヶ月ぐらいは日常生活に復帰できないと聞いたこともあります。これらは、喩えですが、急性期とはそれぐらい患者さんの脳と心を疲弊させ、エネルギーを使わせ、消耗させるものなのです。「もっと寝ていたい」というのは、辛くて大変な現実よりも、安心できる睡眠の世界に留まっていたいという気持ちの表れかもしれません。それとこの時期の睡眠は熟睡感があっても、睡眠の効率が悪いのかもしれません。睡眠の質を、睡眠の量や長さでカバーしているのかもしれません。
この様に、この時期の特徴は表面的には脳と心の疲弊です。しかし、もっと本質的に言うならば、統合失調症の急性期という、存在そのものに亀裂が入ってしまった事態に対し、深い内的な再調整・再組織化がなされていると想定すべきです。単なる疲れではないのです。それ故、前に述べた中井先生は、この時期を繭の時期とか蛹の時期と呼び変えてもいます。言語活動や体の活動が活発でなく長い睡眠を取るこの時期の中で、次の回復がひそかに用意されていると考えるべきなのです。
言語や体の活動が活発でなく寝てばかりいるこの時期の患者さんを見て、ご家族はこのまま行くと廃人になってしまうと考える方もいます。「3年寝太郎」を見てしまうのです。ご家族が今度は焦ってしまうのです。そうすると、ご家族はやれ働け、やれ家事をやれ、と患者さんの尻をたたくようになります。また、精神医療の分野でも早期の社会復帰ということが唱えられる場合もあります。そうすると、まだこの時期なのに、デイケアへ通えだとか、障害者自立支援施設で就労訓練しろ、ということになります。これらは、この時期に潜む落とし穴のひとつです。時期が早すぎるのです。この時期に活動や社会化を強くプッシュすると、前に述べた繭とか蛹が壊れてしまいます。単に疲弊した状態に鞭打たれるだけでなく、深い内的な再調整・再組織化が上手くいかなくなるのです。脳が疲れたときに休むとか、嫌な人間関係でストレスが溜まるのを避けるとか、そういう感覚が壊れてしまいます。「疲れた」とか「休む」とか「嫌だ」という重要な判断が壊れてしまうのです。
私はかつて共著論文でこの辺りの事を取り上げたことがあります。共著者は、自分の症例で、寛解時前期をゆったりとして通過し、適応レベルはそう高くないながらも安定した「豊かな回復期前期」の症例と、自分が歴代主治医のうち最後の主治医であった症例で、毎回の急性期の後、病的現象がおさまると息つく暇もなく次の就労に旅経っていき、最後には急性期が収まりきらずきわめて困難な慢性急性期の状態になってしまった「貧しい回復期前期」の症例を挙げていました。これが指摘しているのは、回復期前期に社会復帰を急ぐと非常にこじれた状態になりうるという、長期的な視点から見ての回復期前期の落とし穴があるということです。
また、共著者は、この回復期前期に、寛容で理解があり、いつもそばに控えてくれていて、必要があれば関与してくれる人の存在が必要といいます。患者さんの方からのニードは「寂しい」と訴えられることです。共著者は「たとえ僅かでも寂しさを紛らわしてくれる他者」の存在が重要と書いていました。それは、主治医であったり、病棟でお世話になった看護婦さんであったり、なかんずく最も重要なのはご家族です。外来通院の際に庇護者の如く付いて来られいるご家族が将にそれに当たります。こういう存在に恵まれると、回復期前期は患者さんにとり非常に安心に満ちたものになります。
回復期前期でのもうひとつの問題として、精神病後抑うつと呼ばれることがあります。英語圏で提唱された概念で、今では国際疾病分類の中にも入っています。その中では、統合失調症後抑うつと命名されています。これは、精神病を経過した後で、抑うつ的となり、不活発で長い睡眠があり、しかし内心には焦りが満ち溢れ、時には死にたいと訴えたりするものです。この状態は非常に危険なものです。そして、前に述べました回復期臨界期の問題が回復期前期まで持ち越しているものです。患者さんは元気がなく気分が沈んでおり、「仕事もしていないし、将来職に戻れるか・・・・」「将来のことが不安です」「親が生きている間はいいかもしれないけど、自分で経済的に自立して行かざるを得なくなったら・・・・」と内心は焦りと不安に満ちています。このことで絶望し本当に死のうとしてしまう方も見えます。この精神病後抑うつは濃厚に精神的サポートしてゆかなければなりません。「今は、先が見えなくても、時が解決していってくれる部分もあると思います。」とか、急性期の事を指して「あんな大変なことがあったのだから、今は、気力や集中力が続かなくても不思議ではないんですよ。」とか、「今は、長い睡眠を取っていても全然差しさわりがないです。むしろ、長い睡眠を取っていた方が後がいいと思います。」とか、「仕事のことは長い時間をかけて取り組んでいけばいいことであって、今すぐに解決しなくても良いのですよ」等等、患者さんの不安な心を安心させるために支えていきます。精神病後抑うつで最も避けなければいけないことは、むろん、絶望と自殺です。精神病後抑うつに対して抗うつ剤を使う考え方がありますが、あまり勧められたものではありません。抗うつ剤が陽性症状をあぶりだし、急性期に逆戻りさせる可能性があるからです。唯一使えると思われる抗うつ薬はテトラミドという名前で、それも慎重に使わなければなりません。また、セパゾンという抗不安薬は精神病後抑うつについて回る不安に効果があります。しかし、薬物療法よりも治療者とご家族が力を合わせて患者さんを庇護的に支えることの方が効果的に思われます。
回復期前期に到達すると抗精神病薬の量を減量していきます。これは慎重にゆっくりと行います。急性期に使用していた抗精神病薬の最大薬量にもよりますが、ハロペリドールを使用していたのなら、私は、4週間に1度、4.5mg減らします。そして、長い人では1年ぐらいかけて、1日量でハロペリドールなら6mg、リスペリドンなら6mg、オランザピンなら5~10mgぐらいの維持量と呼ばれる量に落とします。そして、この維持量は終生服用して頂きます。なぜ終生なのかは、薬をやめると99%以上は4日から数ヶ月のタイムスパンで急性期が再燃するからです。維持量がもう少し多い患者さんもいます。それは、迫害的な幻聴ではないけれども、幻聴が残っている患者さんで、言わば急性期の火種が残っている患者さんです。逆に、維持量が先に述べた量の5,6分の1という患者さんもいます。それは、急性期の治療が外来治療だけで可能であった、元々軽症の患者さんたちで、しかも、病的な体験が残っていない方々です。更に、先に述べた維持量の10分の1という方や、頭が疲れた時のみ、安定剤服用という頓服の患者さんもごく少数ですがいます。それは、急性期が確かにあったのですが、3回程度の外来治療できれいに病的な体験が消失して、その後の患者さんの安定度が良く明るさがある方々とか、統合失調症をかすったかかすっていないかという程度の方々です。
それまで従来型の定型抗精神病薬で治療してきた患者さんについては、維持量にまで薬量を落としたときに、非定型抗精神病薬に徐々に変更していきます。回復時前期が安定したもので、患者さんが明るければ、鎮静はあまり必要でなく、より鎮静力が低く副作用も少ないものに変えるということです。しかし、それでも、非定型抗精神病薬にも副作用はあり、薬によっては、肥満や糖尿病になり易くなるものもあります。しかし、患者さんの体のだるさも少なくなり、頭もクリアになります。
現在、非定型抗精神病薬は急性期治療の時期からも使われますが、ある程度以上重症な方は定型抗精神病薬を使います。そして、非定型抗精神病薬は、寧ろ、回復期前期や回復期後期の維持療法に適した薬剤と考えられます。
回復期前期の治療と患者さんの養生について私は5つのことを患者さんに伝え、強く勧めます
その1:薬をきっちり服用すること。
その2:ゆったりのんびり過して構わないこと。焦らないこと。
その3:最低8時間は熟睡すること。もし寝れるのなら、午後3時まで朝寝や昼寝しても差し障りないこと。ただし、食事と服薬は朝・昼にすること。夜の寝つきが悪くなるので、午後3時以降の昼寝は必ずしないこと。全くの昼夜逆転は生活リズムを乱すのでしないこと。
その4:大きなチャレンジ、例えば、いきなり仕事に就こうとすること等ですが、これはしないこと。
その5:もし退屈や暇を感じるなら、それはこころの余裕を示すものだから、何か楽しいことをして良いこと。例えば、DVDをみるとか、ネットサーフィンをするとか、プラモデルを作ってみるとか、久しぶりにピアノを弾いてみるとか、等等です。
ここで陰性症状について説明します。陰性症状は、自閉、感情鈍麻、無為、意欲の低下、残遺欠陥、人格水準低下などからなる症状で、陽性症状がプラスの症状、つまり、本来ないはずのものが症状として出てくるのに対し、陰性症状はマイナスの症状で、本来備わっていたものが欠落し喪失するというニュアンスです。自閉は、自分に閉じこもることです。軽いものでは、家族とはコミュニケーションできますが、外に出ようとしない、家族以外の人と人間関係を持とうとしないというものも含みます。感情鈍麻は、喜怒哀楽が無くなり、表情が平板になり、感情表現が鮮やかでなくなるというものです。無為は何もしないことで、意欲の低下とも言われます。残遺欠陥とは、急性期というものが、喩えて言えば、酸素の中で炭が激しく燃えることだとすると、その果てには灰が残ります。その灰のように、エネルギーの水準が落ちてしまい、集中力や持続力の低下、作業遂行能力の低下、総じて、病気の前の社会適応水準からレベルが落ちてしまっていることを示します。人格水準の低下と言う用語も、軽いものでは、残遺欠陥と似たニュアンスですが、重い人格水準低下という用語では、言語を用いて感情交流できない、危険なものを危険なものとして回避できない、風呂も2年も入らず、殆んど同じ服を毎日着ている、荒唐無稽なことしか喋らない、というように人格のレベルそのものが落ちてしまっていることを指します。
このような陰性症状は、一見すると、回復期前期の疲弊した状態と区別がつきません。軽い陰性症状は、回復期前期の患者さんのあり方と似ています。しかし、もし回復期前期での回復の進展があれば、疲弊は次第にとれて行き、深いレベルでの内的な再調整や再組織化が進んで、自閉的傾向、表情や感情表現の乏しさ、何もしないことは、段々と薄らいでいきます。そして、次の回復期後期に入っていく訳です。このような場合、陰性症状は必ずしも固定的ではありません。
しかし、病気の前の状態にすっかり戻れるかというと、戻れる人は時々いますが、多くは、どこまで回復が進んでも最初の発症の前の、つまり病気の前の社会適応水準に戻れません。つまり、わずかな残遺欠陥や人格水準の低下が残ることの方が、多いです。これには二つの訳があります。一つは、統合失調症という病気の持つ本質的な特徴です。先ほど、炭が激しく燃え灰になる喩えで、エネルギーレベルが落ちることを説明しましたが、このエネルギーレベルの低下は統合失調症の本質的な特徴の一つなのです。もう一つは、特に、最初の発病で特徴的なのですが、発症前の患者さんは一念発起して無理をして何かに取り組んでいます。そうした時に最初の発症をするのですが、一念発起して無理をして何かを取り組んでいれば、それだけ、見かけは高い社会機能水準にある訳です。この場合、病気の前の状態に戻ることがいいことなのか、疑問が出てきます。無理をしてキープをしていた高い社会機能水準に戻ることは必ずしも良いとは言えません。それゆえ、軽い残遺欠陥や人格水準低下があっても、つまり、エネルギーレベルの低下があっても、それは無理をしていない状態のエネルギーレベルの見合った状態と言うことが出来、この状態で良いのだというものの捉え方が出来ます。
回復期前期の期間は短くて半年、長いものになると2、3年かかる場合もあります。
回復期前期の疲弊した状態が、何らかの事情でそれ以上回復しなくなり、長年にわたると、真の陰性症状ということになります。これが、回復期前期での回復の停滞や固定化です。ただし、陰性症状は、急性期や回復時臨界期でも見られます。回復期前期で固定してしまった患者さんには、先に述べた5つの養生を繰り返し伝えていきます。そして、数年診て、やはり慢性化や固定化をしているのだなということがはっきりしたのなら、例えば「インターネットを始めてみましょう。あなたは、直接人に接すると、人に対する恐怖感が出ますから、インターネットなら、直接人相手ではないから、いいと思います。いろいろな情報やネットショッピングも出来ますよ。」とか「洗濯物の取り入れをする係りになりましょう。洗濯物を取り入れて、その人毎に畳むことをしてみましょう。」と、一寸活動を勧めることも、極めて慎重に行うこともあります。しかし、あくまで、数年診た後という関係の蓄積を背景に行うことです。また、このような活動を勧めることに終始する訳ではありません。心の平和があることや、ゆったりのんびり過せているかを確認し、そういう過し方をサポートして行きます。
(6)回復期後期
回復期後期に入った目安はいくつかあります。まず、朝の目覚めが良くなって、すっきりした目覚めになります。もう少し寝ていたいというのが無くなります。これは睡眠の効率が良くなってきたことを示しています。また、世界から撤退して睡眠の世界で安心感を得るということをしなくても、世界へ出て行けられるという心のあり方が変わってきたことによります。
また、二つ目の指標として、季節感を感じ取れるようになります。それまでは、季節どころではなかったのでしょう。こころの余裕が生まれてきた証拠でもあります。最初は、「寒くなってきたなあ」、という程度なのが、「この頃日の暮れるのが本当に早いですね」とか「朝寒いのでもう少し布団の中にいたいな、という感じがします」というものに変わり、優雅さがある人になると「シクラメンやパンジー、ヴィオラが咲いていて冬だなと思います」と言われる患者さんもおられます。これらの例は、後の方に行く程、内的な豊かさを窺がわせるものになっています。
三番目の指標は、これが一番はっきりしているのですが、何がしかの行動や活動をし始めることです。プールに通って泳ぐとか、以前やっていたステンドグラスの工芸を再開してみるとか、ピアノを弾くとか、CDJ、CDJというのはヒップホップのMCはダブルターンテーブルを使いますが、そのCD版ですが、それで遊んでみるとか、アニメのプラモデルを作ってみるとか、PS-3やWiiやDSi等のゲームをするとか、本を読むとか、TUTAYAで借りてきたDVDをみるとか、散歩に出掛けるようになるとか、家事を手伝ってくれて洗濯物の取り込みと畳む係りになるとか、名古屋駅前や栄に行ってみるとか、デパートの大北海道展に出掛けシャケとイクラの親子丼を食べてくるとか、等等です。
言語活動も豊かになって行き、以前は用件がある時しか喋らなかったのが、色々なことを喋ったり、時には悩みを相談してきたり、雑談や冗談を言うようになります。雑談・冗談はこころの余裕がないと言えることではありません。
行動範囲の広がり方はオリヅルラン的なものです。あの、草の中から草と根のついた茎を伸ばし、それを地に根を降ろさせ、更に、そこから草と根が付いた茎を伸ばしていく植物です。例としては、デイケアに通っているある患者さんはそこで友達が出来、その友達とカラオケに行ったり、焼肉を食べに行ったりします。その友達からまたその友達を紹介され、その人ともデイケア終了後の時間を過すようになったりします。
行動や活動の広がりは、まずなんといっても、消費を中心とした行動からです。これを消費行動や消費活動と呼びましょう。先に述べた行動や活動の広がりは消費行動を伴うものが多いです。人の一生をみてみても、本格的な生産活動につくのは16歳から24歳からで、それまで学校や大学や大学院などの学業という生産活動へ向けた予備段階があるにせよ、消費活動が先行し、それが十分広がりを見せた後、生産活動へ入っていきます。回復期後期の活動・行動の再開は、このような人の一生の前半をなぞるような特徴があります。また、ご家族は患者さんをそういう目で見てあげるといいと思います。また、十分な消費行動の広がりと豊かさが回復しないうちに生産活動に従事しようとするのは、注意しなければなりません。それは、本末転倒であり、かつ、再発の危険をはらんだ焦りに駆られた動きである可能性があるからです。
十分な消費活動の広がりと内容が伴ってきたら、患者さんは職業に就く・学業に戻ることを希望して来られます。それが早すぎる段階では、単純に治療者の方からセーブをかけることもありますし、はっきりしない場合なら、「3週間経っても同じ考えなら、始めてみましょうか」と時間を置いて患者さんに考えてもらうことがあります。
就労の場合は、週3回、1回4時間程度のアルバイトから始めてもらうことが多いです。それが半年ほど無理なく続くようなら、平日毎日の勤務のアルバイトに進みます。それが矢張り半年ほどうまく続くようでしたら、正社員を目指してもらいます。本格的な営業職のような人相手の折衝が中心の職業は避けてもらいます。例えば、郵便配達のアルバイトとか電話交換のアルバイトのような人相手が中心でない、あるいは、人相手ではあっても濃厚に人と接触するものではない職業が良いでしょう。人疲れは、ストレスのうち最も悪性のものだからです。
この時期の患者さんの注意しなければならないことは、新しい世界に入っていくという問題です。それは、患者さんとしては職業に就くという欲望という問題、新しい世界での新たな人間関係が及ぼしてくる問題です。これらが引き金となって、再発・再燃ということがしばしばあります。ですから、新しい世界への参入は余程注意して掛からなければならない問題なのです。このように患者さん自身の欲望も再発・再燃の引き金を引く要因であり得ます。
なお、以上のような、就労や学業の再開をしてみて上手くいかなかった場合は、素直に撤退するか、長い猶予期間を置くことです。就労再開が上手くゆかず、絶望したり悲観して自殺に至ることもあります。だから、上手く行かなくても、労働や学業に全存在をかける姿勢は好ましくありません。上手く行かなければ、労働ならば仕事を長期休むか辞めて、学業ならば再び休学をして、暫くゆったり過すことが必要です。くれぐれも無理は禁物です。
1年を通してみると4月から始まり、1ヵ月でゴールデンウィークの1週間の休みです。それから、3ヶ月ほどしてお盆の1週間の休みです。そこから4ヶ月すると年末年始の1週間の休みです。その間に祝日が散りばめられています。これは、仕事に就いた時や学業に戻った時に長期的な疲れが出てくる時期と、休息を取るべき時期がそこに示されていると考えればよいと思われます。
ここまで述べてきた部分は、直接患者さんが就労再開、学業再開をするというコースでした。それ以外に、医療や福祉関係の施設を利用するという手があります。デイケアと障害者自立支援施設や作業所です。
デイケアや自立支援施設については、また、別の機会に述べてみたいと思います。尚、自立支援施設とは、以前は「作業所」と呼ばれていたもの(作業所の方が、どういう所か判りやすいのですが)、つまり、現在では、就労移行支援事業所、就労継続支援事業所と呼ばれているもの等の日中活動系事業所とグループホームが該当します。
就労に向かうコースの話を続けてきましたが、ここで、回復段階に関係はするが就労とは関係のない話をします。それはお酒の話です。統合失調症の患者さんは多くは、言ってみれば頭の上に何本ものアンテナが立っているみたいに、自分の安全保障を脅かすものに警戒的で、そのため、意識のレベル、覚醒度と言いましょうか、覚醒度が極めて高くなっています。冴え渡っている訳です。そのかわり、覚醒度が高い状態を長く続けていると、疲れ易くなります。統合失調症の患者さんの疲れ易さはそのようにも説明できます。覚醒度が低くなっても安心していられる、ということが回復段階の良好さの指標にもなります。回復期前期から回復期後期にかけての患者さんで、飲酒をする方が見えます。毎日朝から、日に3、4合飲むというのは、アルコール依存症に近く、これはちょっとお勧めできないのですが、時々350mlの缶ビールを1、2本飲む、それで、一寸ほろ酔いを楽しめる、というのは良い傾向です。お酒は、覚醒度を下げますから、それにも拘わらず安心していられるということは、高い覚醒度で張り詰めていなくてもやっていけることになりますので、それだけ回復段階の中で良い傾向がある証左になります。そんなふうに、患者さんとお酒の関係を見てあげると良いと思います。しかし、くれぐれも言いますが、毎日朝から深酒をするとか、毎日4、5合飲むというのは良いことではありません。それはアルコール依存症の飲み方です。
回復期後期の固定化もありえます。これは、陽性症状は全くなく、活動や消費生活、その人の生活の内的な豊かさがあっても、就労や学業の再開や家事を全部こなすというレベルまで行かない状態です。デイケアや障害者自立支援施設や作業所に通っていても、その先のステップに進む自信が無い、進む気がないという状態です。このような状態が数年続いていてもやはり変わらないならば、私はそれ以上のことを患者さんに求めません。それは、先に述べました、統合失調症という病気の本質でもある残遺欠陥・人格水準の低下であるからです。しかし、これ以上社会適応水準が上がらなくても、内的な豊かさがあればいいと考え、その内的な豊かさに関連する話を患者さんとします。作業所に通いながらもステンドグラス細工を趣味にしていてランプシェードを作っている人、働くことをこれまで再三トライして働けていた時期もあるが今は働くことを考えていなくて、ピアノでショパンやベートーヴェンを弾いている人、やはり働くことを考えていなくて、でも、インターネットでリーガ・エスパニョーラ、つまり、サッカーのスペイン・リーグの情報のチェックを欠かさない人等がいます。この人達は、回復期後期に至り、必ずしも固定していない人たちですが、就労再開にまでは至っていない人たちです。就労はしていなくても、人としての内面の豊かさがあります。回復期後期の固定化はこのような豊かさがあれば、十分に引き合うものと思われます。
経済的には、障害者総合支援法、障害者福祉手帳、障害者年金を駆使すれば不十分ではありますが、最低限のラインは保証されます。
- 慢性化について
慢性化には4つの異なった意味があります。
①先ず最初に、統合失調症という病気は慢性の経過を辿るということです。回復期後期にある患者さんで、就労再開にも成功し良い経過を辿っている人でも、服薬は続けなければなりません。抗精神病薬をやめると、先にも述べましたが、99%以上の確率で4日から数ヶ月の間に再発・再燃が起こります。私がかつて担当した患者さんで、一人だけ抗精神病薬をやめることが出来た方がいました。その人は元々数年以上幻聴に悩まされていて、それが消失し、さらに数年たって、フランス語の非常勤講師をするようになりました。週3コマの勤務でした。さらに数年たって、認知症になった両親を介護するようになりました。そのような時期に、抗精神病薬は極めて少なくしてあったのですが、これを飲むと仕事に支障が出るというので、再発覚悟で抗精神病薬をやめてみました。それ以降、私が主治医を勤めていたのは2年でしたが、再発はありませんでした。その後のことはわかりません。しかしこの方は、仕事の準備を両親の介護から解放された夜間に行い、また、不眠傾向が強い方で、多くの睡眠導入薬の使用をしてみえました。この方だけです。
統合失調症をかすったかかすらないかという程度で、初診し、通院してみえる患者さんで、あまりに軽かったので、初診から2年経ってから、相談の上抗精神病薬を頭が疲れた時にのみ頓服するというやり方に変えた方が現在みえます。今後、その方が再発するかしないかは、判りません。
今挙げたのは、言ってみれば例外で、99%以上の患者さんは抗精神病薬を飲み続けないと再発・再燃します。つまり、一生薬は手放せず、言葉の意味どおりの治癒ということは無いのです。薬を飲みながらの治癒はあります。しかし、それは字義通りの治癒ではないのです。このような慢性の問題であるという統合失調症の特徴があります。
②二つ目には、一見同じような状態が続いていながら、数年経って振り返ってみると、薄皮をはぐような回復が少しずつ進んでいる、という場合があります。これは、一見すると慢性状態であるのが、実はそうではなく、極めてゆっくりとした回復がある例です。急性期のところでお話しましたが、急性期離脱に3年かかった患者さんがいました。この人は、本当にきれいに陽性症状が無くなり、回復期前期に至りました。しかし、急性期の最中では、このまま急性期で固定してしまうかもしれないと思われました。また、もっと回復段階の高い患者さんでも、たとえば、回復期後期の患者さんでも就労再開するのに3年かかるような場合はざらにあります。これらの人々は、薄皮を剥ぐようにゆっくりと回復過程が進んで行った患者さん達でした。
③三番目に、再発・再燃を繰り返し動揺した経過を取る患者さんがいます。こういう患者さんは、急性期と回復過程の間を行ったり来たりし、何年かを経てしまうということです。このような患者さんにとっては、まず必要なのは再発をこれ以上反復させないこと、次に、その状態での安定化を図ることです。
再発・再燃は色々な要因で起きることがあります。まず、第一に、原因不明の再発・再燃です。再発・再燃が向こうから勝手にやってくるものです。向こうから勝手にやってくることがあるから怖いです。
次に患者さんの要因で、患者さんが新しい世界に入って行こうとしている時に再発・再燃が起き易いです。ですから、新しい世界へ入って行く時にはよくよく注意してやって行かなければなりません。
その次に、これが最も多いのですが、患者さんが抗精神病薬を飲まなくなった時です。患者さんとしては、他人から作用を受けるのはもうこりごりだ、とか、病気が本当に治った気がするからもう飲まなくて大丈夫だ、という思いがあるのでしょう。でも、抗精神病薬の服薬中止は99%以上再発・再燃を引き起こすのです。
再発・再燃には家族の方の要因もあります。高感情表出家族という研究があります。これは、患者さんに向ける家族の感情の表出が、敵意や否定的評価や巻き込み、巻き込みというのは心理的に支配してしまうことです、この三つが多いとします。その時、同じ量の抗精神病薬を服用していても、こうした感情を家族から振り向けられる患者の再発はそうでない場合よりはるかに高かった、という研究結果があります。イギリスのレフとボーンという研究者の報告です。誰でも敵意や否定的評価や巻き込みは嫌ですから、それを振り向けられ続ければ再発が高くなるとは、ある意味では常識的とも言える内容ですが、再発に心理的なことが関係することをはっきりと証明した点で高く評価されている研究です。これらはご家族と患者さんのコミュニケーションパターンが再発要因になりうるという意味であって、統合失調症の原因はご家族にあるという意味ではありません。
④四番目に、これが慢性化という言葉が最も当てはまる患者さんですが、急性期からの各回復段階で、回復が停滞してしまい、その状態で固定してしまうというものです。固定した患者さんは、各回復段階の事情に合わせて、そっと包むように対応してあげなければなりません。安心感が乏しい患者さんが多いですから、心の平和、ピース・オブ・マインドを大切に育んで行く治療と対応が必要になります。
(8)おわりに
統合失調症の患者さんの治療と養生それに社会復帰に関しては、治療スタッフ向けには良い本がいくつか出ています。先に述べました中井久夫先生の本とか、星野弘先生の本とかです。
しかし、患者さんのご家族向けの本や一般の方々向けの本となると、あまり良い本が出ていないのが実情です。製薬会社がバックになって出ている本もありますが、こうした本は社会復帰をさせるスピードが速いとか、最近の非定型抗精神病薬の良い面ばかりを強調したり、婉曲に自社の非定型抗精神病薬製品の宣伝となっているのが現状です。
それとは違って、これは漫画ですが「わが家の母はビョーキです」という本があります。著者は中村ユキで、出版社はサンマーク出版です。漫画家の母親が統合失調症の患者さんで、その不幸な発症の仕方、何度も再発を繰り返し危険な異常行動もしたこと、家族である漫画家の苦悩と苦労、生活支援センターに支えられて母親の安定度が上昇したこと、しっかりとした入院治療をして、患者さんである母親は肥満になりましたが落ち着いたこと、漫画家が介護福祉士をしている夫と結婚してその夫が非常に楽天的なので、心に余裕を持ってよく患者さんである母親を支えるようになれた事、等等が書かれています。患者さんの症状については、あまり詳しくは書かれていないのですが、この患者さんである母親は何度も再発を繰り返し、最終的には中等度の重さです。しかし、苦労話は書かれていますが、読んでいて非常に心が重たくなるということが無く、楽に読めます。漫画家は家族という立場もあって、利用できる医療や福祉上の援助の制度にも触れています。ご一読を勧めます。
統合失調症の患者さんやご家族に対して現在の精神科医療や社会復帰施設が、支えになるものであり、人間の顔をしていることを切に願ってやみません。
それでは、今日はこの辺で終わりにしたいと思います。